永い延長戦

2023年:「何でも見てやろう」

死が始まっている

人生の折り返しを過ぎたように感じたとき、既にその人の死は始まっているとしたら、もう自分の死も始まっている。

今、かろうじて生活に意味を与えるものが何もない。就職活動は、終わろうと思えば終われて、卒論はもう2万字書いた。恋人は、自分から振ったのだと思う。かつては趣味だったものへの関わりも惰性と呼ぶのがふさわしくなった。そもそも生活の実感や光なんて最初からなかったのかもしれない。

生きてやりたいことはあまり思いつかない。かといって今すぐ死んでしまう気もさらさらない。別に生きたくも死にたくもなく、そもそも何かを望むことがあまりない。今置かれた状態が死でなく生だからたまたま生きている。

自然を見たい、旅行へ行きたい、と微弱に欲が出る事柄もたまにあって、(それが誰かに抱かされた欲求ではないかじっくり見極めながら)その僅かな所産を大事に抱きたい。

余った時間、たのしみを感じられるときには感じて、残りの長さに小さな溜息を吐きながら生きる、それくらいしか展望が見えない。