永い延長戦

2023年:「何でも見てやろう」

一度死んでからリスポーン地点に戻る

視界が曇る時には体勢を整える。

「えいやっ!と飛び出すあの一瞬を愛してる」小山田咲子

急いで元に戻ろうとしてますますストレスが肥大している、と気づいた。どうせいつかはもとの精神状態に戻れる。この前提で、一度行き着くところまでだめになってしまってどっしり構えている方が結果的に健やかになれるんじゃないだろうか。一度死にきってからリスポーンする、生活をやり直す。(これは今沈み込んでいる自分が生活をやり直すために立てた仮説で、これで自分がうまく行ったわけでも誰かにおすすめできるわけでもない。また、時間の使い方を組み替えやすい学生だからこそ悠長に考えられる面もある。)

 

一度死ぬ、とはデトックスや涙活のようなものでもあるし、もっと自滅的なものでもある。心を立て直すことを語るとき、肯定されるのはおおよそ前者だけだろうが、もっとどうしようもなく身や心を苦しめてしまってもいいのではないかと思った。過食や睡眠過多というのを中途半端にやると抜け出すきっかけが掴めず自己嫌悪だけが募っていくから。だったらしばらくの間、何もできないうえ衝動のままに食っちゃ寝る自分を、何も咎めず野放しにしてしまってもいい。
ただし何をするにせよ自分一人で完結できるものがいい。たとえば誰かと一緒にお酒を飲むとすると、人の手前帰るに帰れなく、引くに引けなくなってしまうことがあるから。
だからやるべきなのはこういうことだ。心をあたたかく沈めてくれる、amazarashiのような音楽を聴く。それで涙を流す自分を肯定する。あるいは惰眠を貪る。嫌というほどご飯を食べる。湧くたびに性欲に従う。

 

内に籠もって負荷のないことだけをやる生活を続けていたら、きっと自ずと現状に焦って外を見たくなる瞬間がくる。社会で生きる気が首をもたげ始めてきたリスポーンの瞬間。ここで初めて、人との関わりのことを考えたい。働きに出る、課題を出す、恋人や友人との関係を結び直す。このときも焦らないのがきっと近道で、まずは生活をうまく回すことに注力する。衝動にだけ従ってきた日々のツケで、きっと身なりは汚いし食事も不規則で部屋の中はめちゃくちゃだ。だから少しずつ衣食住をもとのリズムに戻していく。

衣ではやれることはそう多くない。風呂に入り、清潔な服を着ること。髭を剃ること。身体に丁寧なケアを施すこと。
食は、時間をかけて作り三食きっちり食べるのが肝心要だ。自分の場合、調子を崩すと手当たり次第に食材を漁ってしまう傾向がある。冷蔵庫の前に何十分も構え、面倒くさいからそれを調理もせずにだらだらと食べる。キャベツやきゅうり、ベーコンやハム。これをやめて、はっきりと「一食」を作って食べるようにする。きっと大層なものは作れないから、土井善晴が言っていたように手近なものを鍋に放って味噌汁を仕立てる。おばあちゃんは味噌を溶かした後に卵を静かに割り入れ、落とし卵の味噌汁をよく作ってくれた。これは、卵の形が崩れないように落とす、卵が半熟になったあたりで火を止める、という至極簡単な奥深さがあって楽しい。出来栄えを考えながらじっと待つ瞬間、他のことは考えなくたってよくなる気がする。だからこれを作る。

住を立て直すのはなかなかやっかいだ。服の上にごみ、その上に服、その上に本がある。全部一気に片付けようとするとそれだけで一気に心が萎んでしまう。一回で、一日で終わらなくてもいいからひとつずつ元の場所に戻していく。あとは、寝具を洗う、干す。ここまでやれば、また人と関係を取り結ぶ用意はできただろう。ダメだったらそのときは、近くの人でも病院でも頼ったらいい。

こうやって平静を取り戻してみたい。