「水が溢れてしまった」

カネコアヤノの抱擁という曲の、「水が溢れてしまった」という一節。

彼女の口からこれを聴くと、なんだろう、ほんの一瞬窓の外を眺めたりして、その隙にグラスからあふれた水がステンレスのシンクに落ちて、響いた鈍い音であわてて錆びた十字の蛇口を念入りに締める、そんな画が浮かぶ。あるいはもっと生活感薄く、口の広い盃の縁から音もなく水が滴り、落ちていくような様も浮かぶ。
確かに温度に満ちていて、あたたかいのに、どこかでひんやりしたものも感じられる歌声なのだ。水はあふれて、戻ることはなくて、それを私は受け入れ受けとめるしかない。

 

日記の習慣すら手放し夢中だった数カ月間。はじめて自分のうちの恋愛感情の存在を確信できるほど好きになった、それを恐らくいつになっても後悔することはない。(総括しようとしているが、まだ関係が終わりきったわけではないのだけれど。)

中学生の頃からずっと、一年の計を元日にしたためていた。去年なんかは、おそらく今年よりもずっと後ろ向きな気持ちで新年を迎えただろうに、それでも目標やらを立てていた。今年はそんな気持ちがない。何かが殊更につらいわけではなくて、ただ、たぶん平熱が下がり続けている。35、34、33、度。

 

恋愛したいわけではない。セックスしたいわけではない。みんなほんとうは抱擁を待っている。少なくとも自分は。それでもいつか恋愛は向こうからやってくる。心を騒がせてまた帰っていく。