永い延長戦

2023年:「何でも見てやろう」

きのうの夕飯を忘れないために

自分より記憶が続かない人間を知らない。

きのうの夕飯を思い出せないのが衰えの象徴のように言われることもあるが、そんなもの自分は物心ついたときから思い出せなかった。そういう人間だから記録することには人一倍熱心で、特に中学生のうちはA4ノートに3枚も4枚も日記をつけていた。何を書いていたかはもう覚えていない。

そんな自分が書かなかった一年だった。

日記の習慣はたんと途絶え、数週間一文字も書かないのも普通になった。

文字の代わりに写真を選んだからだろうか。1年と少し前に買ったPixel6は、今まで使っていた2万円のスマホと比べ段違いに写りが良くて、確かに写真を撮る楽しみは増した。カメラを構える機会も増えた。写真に頼って、文字に残すのを敬遠したのかもしれない。

あるいは忙しくしすぎたからだろうか。あれもこれもと手を出しすぎた一年だったかもしれない、とは振り返ってみて思う。そもそも自分は天井の角を見つめた時間を動力に駆動するような、許容量の小さい人間で、これからはもっと休み休み活動する必要がある、と思う。

いずれにせよ自分はこの一年を記録に残さず、この一年を既に忘れていってしまった。次の年にはもっと書き残そう。何に苦しみ何に憤ったのか、何が楽しく何が嬉しかったのか。