永い延長戦

2023年:「何でも見てやろう」

ごーん

一秒、一秒が切ないですね。最後くらいはのんびりとしたかったけどそうもいかないもんで。人生の終わりがこんなんだったらいやだな。高三の受験前で死んだりとか。あーやばい、ウユニ塩湖行きたかったな、てかまず彼女と映画館いきたかったしそれ叶わないならリア充呪い殺してから、というか金正恩と結託して地球に核の雨降らせてから死にたかったな、と。やり残しリストあんのに死ぬのはいやだ。もうちょっとゆっくり生きたい。こう思ってるうちにみんな死んじゃいますね。冬は帰省して、おばあちゃんとおじいちゃんがもてなしてくれて、ほかほかした関西弁に囲まれて、大人になるまで、大人になってもこんな生活がずっと続くものだと信じきっていたけど、その不確実さに気づいてしまったらいままで通りにおばあちゃんたちち話せない。ペットもおらず、今まで自分は命を知らなさすぎたんだなあと思う。誰かを失うことを知らないから、もし、もしそういうことが起きたらどうなるんですかとのんきに考えている。死を乗り越えることで強くなれました! だとか聞くから、おおそうか、強くなれるのか、と薄っぺらに捉えている、人生で乗り越える階段のひとつみたいに捉えているけど、そんなことじゃないんだろう、ほんとうに乗り消えられたからこそそう言えるだけなんだろう。除夜の鐘聞いて、お詣りして、来年は無病息災を祈ろうと思う。