永い延長戦

2023年:「何でも見てやろう」

20181129

・世界が自分ひとりのものではなくなった瞬間、おどろくほど自己が現れなくなってしまう。だれかと関わるときの自分は、自分なんだけれど、ひとりのときの自分とは全く異なる。この状況は、家族との長年の関係から生まれたのかもしれない。母の強制・父の望みを越えて意思表示をしない習慣が、望まれない/手の掛かる息子ではなく、家族社会に寄与できる人間であらねばならないという必要に与えられた価値観が、この状態をすべての人間関係に広めしめたのかもしれない。多かれ少なかれ、あらゆる関係において譲歩をすることは自然で、しかもそのことに自分が不満を持っていることを、人と交わるときの自分は気づいていなくて、だとしたら、どんなに理想的な人間関係を作ろうとも、同時に大きな欺瞞と苦痛とを孕むことからは逃れられないのだろう。