永い延長戦

2023年:「何でも見てやろう」

「東京を生きる」を読んだ

雨宮まみ「東京を生きる」を読んだ。東京のどまんなかを、孤独を抱え込みながら望みのままに歩いていく、気高い女性のエッセイだった。上京して置いてきた故郷へ抱く愛憎、際限も見境もなく美を求める衝動、貯金もない独身暮らしの行く末への不安、一編一編にそういった気持ちが書かれている。文末は決意で締めくくられることもあるし、迷いのときも、自問のときもあった。文章って、気持ちって、あいまいなまま形を残してもいいんだな。と、すこし胸がすっきりした。

ほんとうは、雨宮さんのように言葉を書きたい。絲山秋子のように、ブコウスキーのように乗りこなしたい。最果タヒ宇多田ヒカルみたいに、心と伴走できたらいい。そんなところへたどり着けたらいいんだけど、そうでなくとも書いていったっていいんだと、ようやく納得感を持ってわかった。図書館で借りてきたこの本を、今は手放したくない気持ちいっぱいでいる。もっとこの人の言葉に浸りたい。

普段読むことのないずっしりとしたこの単行本を一冊、読み終えたとき、今も六本木の夜を闊歩している雨宮さんの姿が実感になって心に浮かんで、びっくりした。雨宮まみさんはもう、亡くなられているのに。雨宮さんのことを知ったのも、そもそも、2年前にツイッターで訃報を目にしたことがきっかけであって、それでもなお本やブログからその人柄や考えに触れることができるという幸せを、切々と感じる。

雨宮さんは、東京を愛し、東京を渇望していたのだという。“人情味あふれる下町”としての東京ならともかく、人と物とであふれる都会としての東京にどんな愛すべき要素があるのか、自分には考えられない。「東京を生きる」を買って、雨宮さんの他の本も読んで、それってどういう気持ちなのか、のんびり考えてみたい。