永い延長戦

2023年:「何でも見てやろう」

絶望の永久機関

しんどいから努力できない。努力できない自分がしんどい。虚しさが、次の虚しさのもとになる。絶望の永久機関

こんな大層なことを言わなきゃいけないほどの苦しさはない。中間テストが明けた週末を、ひたすら情報量におぼれて費やす。何もやることの時間が本当に怖い、何もやりたいことはないのに。さいきん自分は洗面所に文庫本を一冊置いておくようにしている、風呂あがりや歯磨きの間さえ何かを取り込んでいないと耐えられないのだ。料理をつくるときにはラジオや音楽を聴く。学校でも休み時間にはツイッターを見る。音や文字列で自分を鈍らせようとしたって上手くいかない。情報を取り込みたいという欲望はほんのひと時でさえ満たされることがない。情報だけではない、欲のなにもかもに歯止めをかけられなくなっているんだろう。というよりそれは、もはや欲というかたちすら失っている、欲しくもないのにどこまでも求めてしまっている。一例として食事。夕食では、ご飯を1合から2合食べおかずも摂取した上で、揚げ焼きにしたパスタ200gを食べるのが最近のマスト。特にお腹が空いているわけではない、食べるほどに胃が痛んで、ああまずいんだろうなあ、と思いながらパスタを一本一本摘んで食べている。砂糖をかけても塩をかけてもよい。パスタの麺を歯で噛み砕き、その塩気やら甘みが舌に伝わる一瞬は癖になる。

行動がもたらす結果を知りながら行動を繰り返す。どうしてこんなに駄目になってしまったのでしょう。本を読んでも音楽を聴いても自分は減速していくいっぽう。