待ってろよ未来

今年の抱負「卵の片手割り」

全力が逃げていく

せっかくゴールデンウィークだしやりたいことリストでも作ろう、と思い立った。指針も定まらず、ネットに明け暮れて休暇を殺してしまうのは避けたかった。余暇を余暇として使い潰すことを許容できない自分がいた。

ノートの広いページを用意し、箇条書きの始まりに点をひとつ打つ。いま、じぶんは、なにがしたいかな。どうしてだろう、何を書いていいものやら分からない。鈍重な滑り出しに困りながら、ようやく1行、「上野動物園へ行く」と埋める。前にリストを作ったときにも書いた。上野なんてたぶん500円もかからずに行けて、心が決まればいつの日にでも行けて、だから何年ももう行ってない。つづけて、「国立新美術館ジャコメッティ展へ行く」、「造幣局へ行く」と書く。ずっと前からいきたいと思っていたところばかり。これだけだった。並んだ3つの中点をまじまじ眺める。

社会不安とか絶望とかじゃなくて、ただ単純に眩しい期待がモノトーンへと変わっていってる気がしていたのは、嘘じゃなかったんだと気づく。欲望は欠けていなくて、理想も確かに頭の中にはあって、ただそれを支える暑い感情が、自分の中からどんどん失われていっている。人と話すときの一語一語の選択に気をかけなくなって、テストの順位もどうでもよくなって、最近自分がとても身軽になって、にもかかわらず息がつまっていく一方だった。心底憎い、とか、心底楽しい、とかが薄い。何が何でも、とかがない。筆箱を誰かにどこかに隠されて、シャーペン一本なしに授業を受けたときも、念願かなってけものフレンズSHOPに着いたときも、心の奥は真顔だった。プラスにもマイナスにも揺られすぎず、感情ゲージの上のほうはずいぶん寂しそうにしている。従来築いてきたよそ行きのキャラクターがあるから、さも感情があるように動いてきたけど、それも半分くらいは嘘なのかもしれない。マジであいつムカつくわ  うわもうテスト2週間前だダルっ   自分が発する言葉すべてから重さが盗られている気がする。

文系か理系か、どの大学を目指すのか、先生も親もそわそわそわそわと騒いでいるけど、それを深刻に考えられないし、ならば重くならなくてもいい、と思いたい。クラスの人たちが周囲の声を受け止めて真剣に進路を考えてるのを見てただ羨ましかった。深刻さも真剣さも消えて、にへらにへら笑って過ごして、今になるほど今は淡くなっている。小学生の頃から「小説家になるのが夢です」と言ってきて、実際その言葉を自分で信じて努力してきた時期もあったけれど、それにももう、今のところは、本気になれないだろう。いろんな角度の感情が気だるさを共通項にまとまっている、いま、川の水を眺めてることぐらいが楽しい。すべてが適度にどうでもよくて、すべてのことをアルカイックスマイルでやり過ごせる気がしている。