父の餃子はおいしい。生でだっておいしい。
だって、父は餃子を作るのがうまいのだ。
父は職人のようにひだを作り、職人のように焼き上げる。口に入れれば、ぱりと歯ごたえ、肉汁がしんわり広がる。値千金。
父の餃子にかなう餃子なんてないのだ。
だから、生でだっておいしい。
焼き餃子とは違って、皮はもちっと、キャベツはしゃきっとしている。
まだ皮とタネが馴染みきってないから、豪快な味がする。肉の味がする。卵の味がする。
背徳感の味もする。
はじめて生で食べた小学生のときから、この秘伝の食べ方は他人に知られてはいけないと悟っていたから、今でも父にばれないように包み上がった餃子をそっとくすねて食べる。
ねっとりとしたタネをこっそり舌の上で転がしながら、また良からぬものを食べてしまった、と罪悪も感じながら。
背徳感もおいしい。
今夜も餃子だった。今夜もいただいた。明日になって、食中毒のニュースでも流れればいいのに。